街の惣菜屋「にこ」で、やさしいおかずと自然派ワインを。
夢見る頃を過ぎても、人生には幾つもの明日を開く扉がある。
荒波が渦巻く流通業界から、一転して絵画の世界へ、そして今は荏原町商店街のデッドエンド近くにある街の惣菜屋さん。賽の目を振るように、いくつものターニングポイントを乗り越えてきた「にこ」の店主、敦世さんの大きな瞳を見る度にそう思う。
岡山で生まれたアツヨさんは、高校卒業後、京都の名門女子大へ。それまではずっと、山海の豊穣な恵みに溢れた岡山の街で過ごした。
良質なデニムの生産地としても有名な街は、近年は良質な日本ワイン生産地としても注目を集めている。フランス・ローヌの地で20年余り腕を磨いた醸造家、大岡弘武さんの「ル・カノン」のほか、「ドメーヌ・テッタ」も著名だ。
中学の先輩には、ブルーハーツのヒロトがいた。今も、藤井風、さとうもかなどの、新たな音楽の才能を輩出するなど、岡山は限りない可能性に満ちた場所だ。
そんな街で、岡山の豊富な食材を使い、少しずつ独学で料理に打ち込む少女がいた。共稼ぎの家だったから、春や夏の長い休みにはおなかを減らした5つ下の妹のために3食腕を振るった。
もしかしたら、「にこ」はその時から始まっていたのかもしれない。
アツヨさんの小さな楽園「にこ」のカウンターに立つ度に、今はもう誰も住んでいない九州の実家に帰ったような伸び伸びとした開放感に包まれる。カウンターに並ぶ野菜たっぷりのおかずたちが、幼い頃に祖母が作ってくれた夕飯を思い出すからだろうか…。それとも、故郷のニュアンスが時々混じるアツヨさんの西の言葉のせいだろうか…。
1度目の緊急事態宣言が始まる少し前、2020年の2月5日に「にこ」のページはスタートした。初めての飲食業、海外から忍び寄る未知のウイルスの脅威。不安はいっぱいあった、でも、今スタートしなければ、自分の新しい明日は始まらない。
女子大を卒業した春、アツヨさんは静岡の下田銀座にいた。先日亡くなった橋田壽賀子さんの代表作「おしん」のモデルと言われる巨大スーパーに就職が決まったからだ。
「海がいい? 山がいい?」、赴任地の希望を聞かれ「海」と答えた。それからの3年間、海の近くで暮らし、本部赴任を命じられた時、ふと我に返った。人の上に立つほど、私はこの仕事を愛しているのだろうか!?
そんな時、新聞の三行広告を見つける。「幡ヶ谷画廊、人材求む、委細面談」、少女の頃から憧れていたアートの世界に、アツヨさんは飛び込んでいく。カリスマ女社長と出会い、19年間画商として活躍。店は幡ヶ谷から銀座へ、夏の軽井沢店ではアツヨさんが店長を勤めた。
多くの画家たちが指名する画商、とにかく働いた、お金もどんどん入ってきた。でも、いつも行き場のない寂寥感に包まれた。それは、夜更けに帰宅して、コンビニ飯をレンジで温めるとき頂点に達した。
そんな時ふと、顔いっぱいを笑顔にして、ご飯を頬張る妹の姿を思い出した。自分が作ったもので、人が喜ぶ顔に出会いたい。
おいしい味覚は、いつも少しだけぎこちなく、でこぼこした形をしていた。
それはコンビニのご飯や、ファストフード店では出会わないものだった。一切の化学調味料を使わずに、たっぷりの野菜を使って煮込み料理を作ろう。シェフやレストランの料理じゃなくて、それは家庭のお惣菜にしか見つからないものだ。
煮込みの店だから、「にこ」にしよう。1つの皿で、野菜の栄養も、肉の栄養も一緒に摂ることができるし、そのままおつまみにだってなる。そうだ、夕方になったら惣菜をアテに立飲みもできるようにしよう。
お惣菜を買いに来て、ちょっとだけ自然派ワインで家事に句読点を打つのもいい。会社の帰りに、野菜たっぷりの煮込みで赤星や日本酒を嗜むのもいい。
居酒屋に寄る程ではない。でも、そのまま家には持ち帰れない、痛みや寂しさをほぐすために、人は「にこ」のカウンターを訪れる。そして、それはアツヨさん自身がいちばん求めていたものかもしれない。
「全品お持ち帰り用」と書かれた「にこ」の赤い看板は、いつのまにか街を照らす小さな灯りになっている。
にこ
東京都品川区中延5-13-13
TEL:03-5498-7225
※新型コロナウイルス感染防止などの事情により、店舗の営業時間、サービスの変更などが行われる場合があります。訪問前にご確認ください。